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いたち川沿いを散歩していると、
古い史跡や、道しるべの石碑が目に入る。
富山市立図書館で調べてみると、
いたち川沿いは、全国的にも有名な巡礼地、霊峰、立山の街道だった。
確かに、川沿いを歩いていけば、道に迷うこともない。
富士山、白山、そして立山、
昔の人は、山自体を宗教に照らし合わせた。
立山には地獄谷というところがあり、そこを地獄にみたてて、
雄山山頂を極楽浄土として、今で言う、巨大なテーマークのような存在だったそうだ。
立山信仰は、富山県内にとどまらず、尾張や信濃の国まで布教活動され、
ただの布教だけではなく、富山の薬なども売買されたみたいだ。
NHK教育で、ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2千年」
という番組を見たら、今の韓国の百済から宗教が入ってきたらしいが、
高句麗との戦いに敗れた百済人が、仏教だけではなく、建築、律令制度までも
時の権力者たちに伝えたことを知った。
そのことを知ると、昔の僧侶は、仏教を普及するだけでなく、
建築、医療、政治なども広めていたんだとわかったし、
権力者は、宗教を使って、国を治めていたこともわかった。
立山信仰の布教のために書かれた曼荼羅絵図の中には、
地獄谷の地獄で、生前、嘘をついていた人が鬼に舌を抜かれたり、
生き物をたくさん殺した人には、その生き物になって鬼に苦しめられたり、
自ら、親より先に死んだものは、鬼に苦しめられたりしている絵図をたくさんの
人に見せて布教したらしい。
これだけでも、道徳心は強く植え付けられると思う。
何千年という歴史の中で、人間同士が互いにうまく付き合っていくには、
価値観や道徳心を合わせる必要がある。
そう思うと、立山信仰ってすばらしい信仰だったのでは?
明治政府がなぜこのような信仰を、廃仏毀釈で潰したのか?
もう少し、立山信仰を調べて、
立山に登ると、あらたな発見や気づき、思いが出てきそう。
自然を神仏と考える日本の心、大切にしていきたいものだ。
立山信仰の参考施設 富山県立立山博物館
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